企画展ご案内


暦と時計

  1999.10.1(金)〜11.23(火)

--- 中之条町歴史民俗博物館 ---



企画展開催にあたって
  館長 居澤 定市

 間もなく2000年という節目の年を迎えるにあたって、中之条町歴史民俗資料館では、 「暦と時計」をテーマに平成11年度の第二回企画展を開催することになりました。
 暦は、奈良時代頃から中国の太陰太陽暦を採用し、中国の頒暦に倣った具注暦を毎年 朝延で作成して、中央・地方の官庁に頒布していました。その後、室町時代に書写から 木版へ転換したため、一般庶民にも暦が普及し、江戸時代後期には出版部数も百万部を 越えました。広告付の略暦で知られる大小(引札)は、明治16年から略簡類の出版が 自由になったため、急速に普及し、人々の生活が新暦になじむ昭和になるとみられなく なります。
 時計の歴史は、『日本書紀』に記されている天智天皇の漏刻(水時計)にはじま ります。機械時計は室町時代末頃からキリスト教とともに伝来し、その後、江戸時代に なりわが国でも独自の時計(和時計)がつくられるようになりました。しかし、明治 6年の太陽暦の採用により、和時計は姿を消し、これに代わって、西洋の時計が国内に 入ってきました。時計は、長い期間にわたる多くの人々の究心と努力のおかげで、き わめて完成度の高い機械となりました。その種類は、柱時計・腕時計・目覚まし時計 置き時計・電光掲示の時計やからくり時計などがあり、現在、そのほとんどが水晶式の 電子時計となっています。
 今回の企画展に際し、家の歴史を一世紀以上も見守ってきた大切な時計を借用いたし ました。また、故人となった家族や親しい方の形見となった時計もありました。展示さ れた時計の一つ一つに物語を秘めていることでしょう。
 特に前橋市の田浦様から借用した長崎で原爆の犠牲となり一家全滅した家族の時計 は、被爆の時間のままの状態で展示してあります。企画展開催のためご協力をください ました皆様に心より御礼申し上げご挨拶といたします

"一年は何日なのか"という素朴な問題を,古代の人たちは,太陽・月・星などを基準と して知り,やがてその目盛りとして暦がつくられるようになった。日本では,最初, 中国の暦を取り入れ,江戸時代になると日本人の手で暦が作成されるに至った。当時 の暦は,月の満ち欠けを中心的な基準とする太陰太陽暦であり,かなり複雑で,天文学 的要素の強いものであった。太陽暦(グレゴリオ暦)を採用したのは明治5年のことで あったが,農村の年中行事などは江戸時代のなごりを引き継いで旧暦をもとにして 行われていた。お店で配られた大小(引札)は,明治から対象にかけて普及したが, 人々の暮らしの中に,まだまだ"旧暦"の必要性が感じられていたことを裏づけている。

現在は1日を24等分する定時法であるが,江戸時代は昼と夜をそれぞれ6等分する 不定時法を用いていた。一刻の長さは現在の約二時間で,夜明けから日暮れまでが 昼食,日暮れから夜明けまでが夜間とされたが,機械時計の普及していなかった当時 の人々に実用的な時刻法であった。大名などごく一部の人たちが使ったと考えられる 和時計は,鎖国下の日本で独自につくられた精巧な機械時計となっている。
明治の改暦直後は,外国の時計が輸入され,やがて国内でも生産が進められていった。 掛け時計の形は,明治初期の八角型から四つ丸型へ,大正時代以降は,長方箱型が 流行した。携帯用の物は,江戸時代の日時計や懐中時計が知られるが,戦後,社会 構造の変化と共に急速に時計の必要性が求められた結果,腕時計が爆発的に普及し, 誰もが時計を手にする時代が訪れた。




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