企画展ご案内


若山牧水と吾妻

枯野の旅

  1998.10.1(木)〜11.23(月)

--- 中之条町歴史民俗博物館 ---

若山牧水(わかやま ぼくすい), (1885〜1928) 若山牧水は,明治18年(1885年)8月24日,宮崎県臼杵郡の医師若山立蔵・マキの長男として生まれた。本名繁・雅号を雨山・小雨・牧水と号した。牧水の雅号は,母マキの名と故郷坪谷の渓流と二つの愛するものからとって名付けたという。
牧水は,延岡中学校から早稲田大学に進み,北原白秋・前田夕暮・三木露風・土岐善麿・佐藤緑葉等と共に文学活動をしたが,早稲田卒業の明治41年に第1歌集「海の声」を出版,2年後の明治43年に第2歌集「独り歌える」第3歌集「別離」を刊行して歌壇に大きな影響を与えている。特に「別離」の中で,幾山河越えさり行く\かば寂しさの果てなまう国ぞ今日も旅行く
白鳥はかなしからずや空の青海の青にも染まずただよふ
の2首は牧水の名声を高めた歌である。同年3月短歌中心文化雑誌「創作」が創刊され,牧水の編集によりその後の文学活動の拠点となった。
牧水は,旅を愛した日に関する短歌や紀行が多いが,西行や芭蕉が行く先々で名所・旧跡を訪ねているのに対し,牧水の旅は何よりも自然を愛し,自然に親しむ旅であった。
群馬県は,豊かな自然に恵まれており,親友の佐藤緑葉(吾妻東村),田中辰雄(中之条町)の出身地であることから来県するようになった。特に,大正11年の「みなかみ紀行」の旅は,晩秋の吾妻地方を詠じた「枯れ野の旅」という名詩を残した。この詩は暮坂峠に日本唯一の珍しい牧水詩碑として建立された。
牧水は,昭和3年7月より体調を崩し,同年9月17日沼津市において没した。享年43才,同市千本山乗運寺に葬られている。
資料館企画展では, ゆかりの品,写真,酒器,色紙,短冊等を展示している。



(注意)中之条に行ってんべえは,個人で運営されています。公的なものではありません。 produced by Kogure Hiroshi



戻る